3000系
1964年から製造が始まり、114両が製造されました。
宝塚本線の編成には、1995年から先頭車にスカートが設置されました。
1988年に今津線に転属した3072Fを皮切りに支線運用が開始され、当初は
今津北線と伊丹線での運用でしたが、2000系の廃車進行により、1991年から
3両編成で甲陽線と今津南線でも使用される様になりました。
支線運用車のうち、甲陽線と今津南線の車両については1998年のワンマン化の際に6000系と入れ替えられ、のち今津北線と伊丹線に転属しました。
2011年に9002Fが神戸本線に投入されたので、3078Fは6両に短縮された上で今津北線に転属しました。
管理人のお気に入りの形式ですので、徐々に姿を消していくのは残念です。




3100系
3000系の宝塚線版。3000系と並行して1964年から40両が製造されました。
1988年の春の箕面線・伊丹線への転属を皮切りに支線運用が開始され、本線に残る車両は全て方向幕付きの3本のみになりましたが、これらの編成も1998年までに支線に転出してしまったので、現在では回送等を除き本線では見ることができません。



5000系
= 1968年にデビューしました。1984年から前面・側面に電動式の表示幕が設置され、前面の種別灯・尾灯がそれぞれ窓下へ移動しました。
かつては宝塚線でも運用されていましたが、現在では神戸線のみ運用されています。リニューアルにより、シングルアームパンタグラフになり、前面も大幅に更新され、出入り口に滑り止め加工などが施されました。


5100系
5100系は神戸・宝塚・京都線の全線での運行に配慮した設計となっています。
当初は京都線でも運用に就いていましたが、後に京都線に5300系が投入されたので神宝線に集められました。
現在では主に宝塚線中心の運用に就いています。
伊丹線用の3000系・3100系が検査等で抜けたときには5100系が代走します。



6000系
6000系は、ホームが6両分しかない山陽電鉄への乗り入れのために6両編成として製造され、本線を走る際は2両を増結して8両で運用に就いていました。
現在では、2200系からの編入車を含めて140両が在籍しています。
大半は宝塚線で運用され、一部は今津線・甲陽線にワンマン対応改造が施工された車両が3両編成で走っています。
昔はマルーン一色だけでしたが、現在では左の写真のように上部にアイボリー塗装がされています。


7000系
6000系をベースに1980年から210両が製造されました。
また、6000系(2200系からの編入車を含む)を組み込んだ編成や、8000系と連結して8両編成として運用されている編成があります。
直通運転が取りやめられた1998年まで山陽須磨浦公園駅にも乗り入れていましたが、現在では神戸線・宝塚線・神戸高速線で運用されています。
7000系もアイボリー塗装が施されました。7007Fや7008Fなど、9000系のような前面にリニューアルされた編成もあります。


8000系
8000系は阪急電鉄創立80周年を記念して、それまでの丸みを帯びたものから、縁が飛び出した「額縁スタイル」と呼ばれるものにに変更されました。
6300系と同じように上部がアイボリーに塗装されています。
初期の前面窓下には金属製の飾り板が取り付けれていました。
神戸線・宝塚線で運用されています。
宝塚線の8000系は能勢電鉄乗り入れのため、アンテナが1本多いです。

 


8200系
8200系は、1995年に製造された系列です。車内の座席はJR東日本で導入されていた収納式が採用されました。
車内には扉上にLEDによる案内表示など情報表示がされてます。
車体側面の種別・行先表示器は3色のLED式が採用されています。
現在は朝ラッシュ時にのみ運用されています。西宮北口―梅田に於ける座席が収納された状態での通勤急行の増結運用に限られていましたが、2007年のダイヤ改正で座席の収納を中止し、現在では9000系と同等のロングシートで運用に就いています。
阪急電車の中では、お目にかかる機会がかなり少ない車両です。



9000系
2006年7月31日にデビューしました。神戸線・宝塚線で運用されています。
行先表示にはフルカラーLEDが使用されています。車内には位置情報や駅名・乗り換え案内などが表示されるディスプレイ装置が設置されています。
9002Fについては車内照明のすべてにLEDが導入され、「未来のあかり号」として2011年3月末まで運行しています。
全種別に就きますが、神戸線では普通運用が多いです。



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